ある日記3

2006.1.6

今日は夜勤。しかも自分が飛び出した実家のすぐ傍に住む女の子との初めての夜勤だ。でも、なぜか、朝から妙に不安感は無かった。父の所に寄り職場へ向かう。相変わらず父は寝ていた。そして夜勤へ。夜勤は二人きりだ。仕事前に思い切って今までの自分のふがいなさを彼女に謝る。今までの自分では考えられない行動だ。彼女は笑って話を返していた。ここまで来るのに3年かかった。たった一言謝れずに・・・。その後の夜勤は話も弾み何でもないように時間が過ぎていった。笑い話も出て、今までの胸の曇りが徐々に払われる感じがした。笑って済まされることではないんだろうが、また一つ壁を越えることが出来たと思った。小さな壁だが・・・。夜勤の朝方、外はうっすらと雪化粧してきた。まだまだ色んな障害があるがまた少し光が見えたような気もした。

1/8

昨日は夜勤明けで、今日は日勤だ。1日体がだるい。何とか日勤も無事終わる。父の家には2日行ってないがどうしてるだろうか。体がきついので今日はアパートへ帰る。帰ると台所付近が天井から水漏れしびしょ濡れになっている。バケツを置いたり床を拭いたり余計に疲れる。明日は修理を頼まなきゃ。休みだけど動けないかも。

1/9

案の定今日は朝から、水漏れと格闘。不動産屋に電話する。それからが大変。不動産屋さん、水道屋さん、工務店さん、そして大家さん、入れ替わり立ち代りで、アパートから出られない。築25年だからこんなことがあってもしょうがないかなとは思うが、そんなこんなで一日終わった。二階の水道をとりあえず止めてるので、明日、本格的に修理するとの事。何だか無駄に1日を過ごした気分。夕方になっても水漏れは収まらず、何度もバケツの水を捨てに行く。変に疲れたなあ・・・。

1/10

今日は日勤。朝も少し水漏れはしていたがバケツを置き、職場へ。だいぶ水もおさまった。そして父の2度目の病院受診の日だ。父の所へ行くとすでに着替えて受診の用意をしていた。この調子でうまく行けばいいが・・・。まだまだ心配だ。今年になって、今の所、マンションの人から苦情の電話は無い。

1/11

当直で深夜2時に患者さんが亡くなった。少し寝不足で明けの休みを迎える。家に帰ると、父のマンションの隣人から電話がかかってきた。また、父がやらかしたらしい。今度は警察まで上の音がうるさいと自分で行ったみたいだ。また、大事になってしまった。昼から派出所に行ってみる。話をお巡りさんと交わすが、警察でも、動きようがないと言う。そうだろう。自分でもどうしていいか分からないんだし・・・。その後、1年ぶりにおばの家に挨拶に行く。自分でも断ち切れそうな縁をどうかしたいという思いが駆け巡る。それと父の事で頭は混乱状態だ。わけが分からない。夕方、父のところを訪れると警察に行った事を力いっぱい怒鳴られた。温和に聞いていたが、何だか自分の方が爆発しそうになって来た。抑えなきゃ・・・。でも、耐え切れるかなぁ。自信が無い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

1/12

日記を付け出して一番の出来事が起こった。仕事は休みだったが、午後3時過ぎ、マンションの隣人の方から「お父さんが包丁を持ってマンションから出て行きました。今、警察の人が探してます。」驚いてアパートを飛び出す。マンションに着くと警察が何人か来ていて付近を捜索していた。警察から色々聴取を受ける。今朝も酔って自分の所に電話がかかってきていたので、また、酒を飲んでるのは間違いない。飲んだ上での行動だろう。しかも車が無くなっている。運転してどこかに行ったことは違いない。30分以上して近所に車を止めて中にいるのを発見された。やはり包丁を持っていたらしい。そのまま警察へ連れて行かれる。銃刀法違反になるらしい。自分も調書を取るため警察へ。警察に着いても父はまだ、なぜ連れてこられたのかと怒鳴り続けている。今日は取調べは出来ないだろうとのこと。自分は延々と調書の作成に付き合わされる。今までの出来事や今日のいきさつなど4時間以上もかかった。父は何度か警察沙汰は起こしてるがここまでの事件は無かった。とりあえず父は48時間は抑留されるとのこと。今後の事が頭をよぎる。マンションを追い出されるのか、入院させられるのか、夜風が寒い。しかし、こんな事になるとは。

1/13

朝から父の兄弟やマンションの方にお詫びに回る。あっという間に1日が過ぎる。父は留置されたままだ。午後警察から、薬や衣類や洗面道具の差し入れをしてほしいと電話がある。また忙しく病院に行ったり、買い物をして警察へ向かう。警察官が混入物が無いか、品物を一つ一つ確認する。初めての体験だ。今日は面会は出来ないとのこと。医療保護入院が出来ないか相談するが、本人はちゃんとした判断能力があり出来ないだろうとの事である。マンションの人や父の兄弟もとりあえず入院して欲しいといっている。このまま出てきてマンションに戻ったらそれこそ住民の人の感情が収まらないのは目に見えている。まだまだこれからが大変だ。

1/14

3日ぶりに職場へ行く。昨日は有給をもらったのでみんなから「何で?」としつこく聞かれる。当然答えられるはずも無い。「色々ごたごたしてたから」答えを濁す。今日は、警察から連絡は無かった。しかし、マンションの人から父を入院させるよう警察に陳情に行くと電話があった。断る理由も無いので構わないと伝える。職場でも何人かは父の件について知ってるはずだから気まずいのは気まずい。院長に父のせいで病院にも迷惑をかけたので、進退伺いみたいなことを言ったが、笑って気にしなくていいと言う。でも、気まずい日々が当分は続きそうだ。

1/16

今日は父の面会が始めて許される日だ。夜勤明けではあるが、15時30分に留置管理課に行かなければならない。少し仮眠しようと思うが、昨日の夜勤前からぜんぜん眠れない。時間になって署に行くと、面会用の書類に色々記入させられ、面会室で待つ。中から父の泣き声が聞こえてきた。興奮しているようだ。立会人とともに父が面会室に入ってきた。「すまん、すまん」と何度も言う。なぜ自分が逮捕されたのかがようやく分かってきたと言う。興奮状態は変わらず続いている。穴の開いたガラス窓を通しての会話は時々聞き取りづらい。父の兄弟の言葉などを伝えると徐々に気分も収まってきたようである。30分の面会時間だが、時間より少し早めに父は立ち上がった。初めての体験だった。確かに映画そのものの面会室だった。今日は父のマンションの理事長さんたちが警察に陳情に来てるはずだ。明日は日勤だが昼から保健所に相談に行ってみようと思う。

1/17

朝、病院に行くと自分の受け持ち患者が危篤になっていた。昨日まで食事してたのに、口から出血し、意識は無い。家族に至急連絡する。すぐ家族がかけつけるが状態は変わりない。とりあえず病衣を着替えさせようと体を動かすと、急に呼吸が止まってしまった。あわててドクターを呼ぶ。しかしそのまま脈も止まってしまった。なんと人間の最後ってあっけないんだろう。家族には以前から良くしてもらっていたし、急死した事がすごく残念で涙が出る。こんな悲しい気持ちになったのはいつ以来だろうと自分で考えていた。午後から休みをもらって保健所に行く。父の入院についてである。昨日マンションの人たちが来て大体の話はされていたようだ。思い出せば母が亡くなった後にも、父の飲酒でここに来たことがあった。もう3年半も前の事だ。結局答えは出なかったが、今回はそうは行かない。保健所としても父の意思で入院してもらってその後医療保護入院に切り替えたらどうかとの結論だった。あわただしさに疲れる暇も無い毎日が続く。明日は心療内科受診の日だ。

1/18

休みだが7時半に起きて心療内科へ向かう。出来るなら遅くまで寝たいがそうも行かないだろう。先生に1ヶ月間に起きた事を事細かに話す。先生も驚いた様子だ。「お父さんはやっぱり入院させるほうがいいね。私もそう思います」「あなたも大変でしょう」普段より長く先生と会話した。なんか毎日同じ事を繰り返し誰かに話している感じだ。急いで引き返しまた警察へ向かう。2度目の面会だ。今度は父は落ち着いてる様子である。しかし、事件の日の事を何度も聞かれまいっていると言う。思い出せないのにしつこく聞かれるとの事だ。時々投げやりな発言も出る。このままでは拘留がまた長引くかもしれない。逮捕された日に調書を書いた刑事さんにもばったり会ってしばらく話す。なんか悪い意味で警察に顔なじみが出来ていくようだ。

1/19

今日も日勤で忙しかった。看護研究の院内発表。入院患者のアナムネ。レントゲン。その中で父の今後の処遇について、先生と相談員と話し合う。先生に紹介状を書いてもらい病院入院をお願いすることとなる。明日その病院に行って相談だ。今夜は当直でそのまま泊まり。体がいくつあっても足りない。

1/20

当直明けの休みだが朝から動き回る。親戚に行ったり、病院に相談に行ったり、警察にも行った。入院時期はどうかなるとの事。父とは会えないままだったが、拘留が長引きそうだ。マンションの人との話もある。先も分からないし疲れます・・・。

1/23

父の拘留が10日延長になった。何も警察から連絡が無かったのでこちらから連絡したら、そういう返事が返ってきた。父ともあれから面会できていない。夜勤明けで夕方から飲み会。いつもよりストレスがたまってるせいか酔いが回る。眠くなって、気がついたら自分の病院に警察に送られて来ていた。タクシーで寝てしまい警察に行ってしまったらしい。覚えていない。まさか自分までこんなになるとは・・・。刑事さんが父との関係で知り合いの人で、自分だと分かって病院まで運んでくれたそうだ。でも、すごく恥ずかしい。

1/24

朝5時病院からとぼとぼ歩いて帰る。すごく寒い。気温は−3℃だった。帰ってまた一眠りして目が覚めて、昨日のお詫びに警察や、タクシー会社にお詫びに行く。夜勤者へのお詫びも買う。午後からはマンションの理事長さんや、階上の方に挨拶に回る。二日酔いしてる暇は無い。父が入院することでマンションの人はとりあえず納得されるとの事。ホントかなあ・・・。

1/25

朝、警察から電話があり、父が転んで背骨を痛め、コルセットを持って来て欲しいとの事、一緒に面会のお願いもする。コルセットを持って警察へ面会へ、父は相当腰が痛そうだった。昨日、外科を受診したらしい。相変わらず父は感情失禁があるのか、すぐ泣いてしまう。マンションの人たちが入院することで和解できそうだと父に話す。父はその辺はあまり深く考えていないようだ。でも入院する意思があればなんとか落ち着きそうだ。

1/26

今日は警察が父のマンションを家宅捜索するとの事。昼から休みをもらってマンションで刑事さんと落ち合う。裁判所からの礼状を見せられ部屋へ、自分はいわゆる立会人だ。包丁や酒のビンなど押収物の前で自分が立ち会って写真を撮らされる。これも初めての経験だ。1時間30分程で終わった。明日は父の押収された車を取りにに来て欲しいとの事。毎日警察と関わりの無い日が無い。まだまだ続くのか・・・。

1/27

夕方、病棟職員のお通夜に行ったため7時30分過ぎに警察へ車を取りに行く。自分の車では取りに行けないので歩いて向かう。手続きはそれほどでもなかった。だが、父の腰の具合が悪いらしい。刑事さんとしばらく話をして車を持って帰る。マンションに持って帰るのも何なので、近所の市営駐車場に止めておく。住民の人の感情をどうしても考えてしまう。でも、この後どこに止めたらいいんだろう。

1/29

今日は事務当直で朝から一日泊まり。今日も警察から電話がかかってくる。父が用事があるとの事。今日は行けないので明日行きますと答える。留置期限も近づいてきている。検察からはまだ電話もないままだ。略式裁判でどうなるかだが、罰金刑は免れない。仕方ないけど・・・。

1/30

警察署に2時30分に来てくれとの事。朝から父のマンションの片づけを終え、時間を待つ。時間が来て行ってみると、罰金を払うため、早く貯金を下ろして欲しいとの事。腰の具合も悪いみたいで整形外科に入院しなければならないと言っている。車もディーラーに預けて欲しいと。色々用事を受ける。最初の面会の頃に比べればだいぶ落ち着いている。自分も面会に慣れてきたみたいだ。しかし、整形への入院でマンションの人が納得するかだが・・・。

1/31

警察から2日の日に父が略式裁判で出られそうだとのこと。ただし、罰金の用意と入院先は確保しておいてくれとの裁判所からの伝言。銀行に父のお金が下ろせるか問い合わせる。保険証があれば何とかなりそうだ。病院の手配も慌しい。午後から入院患者のアナムネだが、なかなかはかどらない。

2/1

夜勤前だが父の包丁を返すからと警察から電話がある。銀行には朝のうちにお金を用意するため向かう。一眠りした後、警察へ。色んな押収物を返却してもらう。いよいよ明日が略式裁判。どうなるのかと思いながら仕事へ向かう。明日は大変だろうな。

2/2

朝、夜勤を終え検察庁に向かう。10時の出頭だ。検察庁で待っていると、父をとりあえず入院させて欲しいとの事。言わばそれが裁判上の条件みたいなものだろう。とりあえずまた、病院へお願い周り。でも当人が居ないのに、入院させてくれと言うのも変な話だ。出来ないと断られるのがオチ。自分の病院もそうなんだろうが、こういう事には病院は冷たい。13時、再度検察庁へ出頭。待合室でしばらく待っていると略式裁判を終えた父が警察官に抱えられ入ってきた。外に出られたことからか表情は穏やかである。「すまんかったね・・・」何回か口にするが興奮する様子は無い。窓口で罰金を払いもう帰っていいとの事。比較的あっさり返される。車まで父は何とか一人で歩くことが出来た。そのまま整形外科を受診へ。父なりに留置場の中で色々考えたのだろう。その思いが言葉になって出てくるが会話は穏やかだ。整形で1時間ほど待って診察。先生にアルコールの件を話していたので、「うちで見れないよ」とやや不機嫌。レントゲンの結果、安静治療で入院は必要ないとの事で、父を連れアルコール治療の専門病院へ。どこかの病院に入院するよう言われているため、今日中に入ってもらわなければいけない。相談員の方と話はつけてあったので即入院となった。父は、冗談も出て、何か今までのことを忘れてるみたいだ。このまま、入院を続けてくれればいいが・・・。夕方まで入院に必要な買い物や、マンションの人に挨拶に行ったり、親戚に電話したり。疲れ果てた。

2/3

今日は節分。病院の人3人と前々から約束していた櫛田神社の節分祭に行くことになっている。父の件でどうなるか分からなかったが、とりあえず行けそうだ。朝7時、睡眠不足で頭がボーっとしている。待ち合わせ場所に行き、そのまま福岡へ。豆まきには坂田藤十郎が来ていてすごい賑わいだった。30分おきに豆まきがあるので結構夢中になって参加する。しばし、昨日までのことを忘れた1日だった。

2/4

今日は立春。占いでは、今日から運気が良くなるらしいが、どうなることか。そうなって欲しいけど、今日も仕事が忙しいばかり。朝はうっすらと雪が降っていて、春はまだ遠そうだ。何回か父から自分の病院に持ってきてもらいたいものを電話してきたみたいだ。父はどうしてるかな・・・。

2/5

今朝はマイナス6度。寒さで目が覚める。実は今日は誕生日なんだけど、実感が無い。日曜日で仕事も忙しく、それど頃じゃなく過ごす。夕方、職場の人2人が飲みに誘ってくれた。一人で何か食べようと思ってたから、ありがたかった。

2/9

父に昨日頼まれた着替えを病院に持って行く。父は特に変わりは無い様子だったが、その後、マンションの理事長さんを訪ねると、父からマンションの理事さんに電話があった内容について聞かされた。自分を通報した管理人と階上の方を今でも恨んでる節を懇々と話したらしい。自分も聞いてなかっただけにショックだった。今の父の本意が出たんだろう。マンションに住めなくなるなら損害賠償しても言いといってるみたいだ。また、困った事になった。警察が一番心配していた事態だ。まだ、入院したばかりだが、この考えを変えなければ退院には結びつかない。また、新たな心配が始まった。

2/14

夜勤明けだったが、先日の電話の件で父の入院している病院の主治医の先生と面談をする。マンションの人に対する電話はアルコールが抜け始める時の解脱症状の一種だろうと、マンションの人には説明しておいてくださいとの事。それとなく本人の心理を確かめて行きましょうと言われた。いい先生だ。最近、父をここまで追い込んだのは自分のふがいなさのせいだろうなとつくづく思う。先生には話さなかったが、どこか不憫でならない・・・。

2/19

昨日、妹から電話があり、夫婦で父の面会に来るとの事。父には知らせないまま、マンションで妹たちと落ち合う。そして、事件が起きてからの経緯をしばらく話してから、病院へ面会へ・・・。面会室で会うと父は、それほど驚いた様子も無く、比較的さっぱりした表情で妹たちに話しかける。反省しているというよりはやはり覚えてないからだろうか、回顧しながら淡々と話している。その中でやはり、マンションの人たちへの恨みめいたことを話しだした。心の中に思いが昂ぶっているのだろう。肯定も否定もせず1時間ほど話が続いた。そして病院を後にした。まだまだ、今後が不安だ。

2/24

朝起きたら、トリノオリンピック荒川静香のフィギア金メダルで一人興奮してた。2月に入ってもあまりいい事が無かったから少しうれしい気分。今日も日勤だ。仕事前に父の入院している病院に洗濯物を届けに行く。病棟に行けば入浴日で忙しい。夕方から職場のボーリング大会。終わったら病棟の人たちに食事に誘われ付き合う。みんな良く話すことがあるなと思いながら、時を過ごす。帰れば11時過ぎ。なんか慌しい1日だった。

3/9

父に免停90日が実施されることになった。父に伝えに行ったが、父は違反した日から免停になってると思っていたらしく、8日からの免停を聞いて「そんなに長くここには居たくない。退院して免停の短縮講習を受ける」と言い出した。今退院してもマンションの人たちが納まらないだろう。主治医の先生に相談することにした。先生は任意入院だから父が退院すると言えば退院させなければならなくなる。でもマンションの人たちの心情から見てもまだ1ヶ月くらいでは退院しないほうがいいだろう。とりあえず今月いっぱいは入院してその後外泊をしながら退院に持っていくよう説明していくとの事。お願いしますと先生に言う。いろいろな事がまだまだ起きそうだ。













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