ある日記2

2005.3.11

ばらく日記を書く気にもなれず日にちがたってしまった。今日は母の命日だ。もう3年になろうとしている。日勤が終わった後、お寺の納骨堂へ向かった。もう7時を過ぎており中も外も真っ暗だ。明かりのない中で手を合わせる。なぜだか涙もでない。なぜだろう。自分でもわからない。いつの間にか自分の感情まで封じ込めてしまったのか。月日の流れの中で心がここまで乾いてしまったのか。ただ、その日の思い出だけは昨日のことのように思い出せる。だけどまるで一つの事件としか思い出せない。わからない・・・。

2005.5.7

気がついたらまた2ヶ月たっていた。父とも連絡を取らないまま、また、日にちが過ぎていた。職場の人事異動もあり、気ぜわしい毎日だったのだろうが、何も変わるところがないようだ。このままの日々がさらにいつまで続くのか・・・。家を買おうと探してみてもいい物件は見つからない。職場を変えることが出来るのか自分に問いかけても自信はまるでない。季節は春を通り過ぎ初夏に向かおうかというのに・・・。日記を書くのも今は億劫なのだ。職場に顔を出しても実際には人にはあまり会いたくない。今が過渡期と分かっているがなかなか前に進む勇気がない。なかなというよりは全く。

5/8

日勤、当直そのまま、明日も日勤だ。今朝、父がアパートを訪れた。別に怒ってたわけではないが連絡が取れないからと言う。見た目は元気そうだった。いつものように実家を空けている事、畑仕事の手伝いをしないなど小言を言う。小言がまた余計に自分の気を重くする。何も反発することなく話を聞いて、3分ほどで帰って言った。親子関係はいつもこんな感じで、自分が父に反論しないようになって、話も続かない。これでいい訳はないだろうが・・・。

5/14

朝酔った声で父から電話があった。いつものように家を空けている事など延々と話し続ける。10分以上は話しただろうが、ただ「すいません」と返すのみだった。自分の本意ではないがやはり言い返す気力は無い。その日は一日気が重いまま過ごした。自分が悪いからしょうがないけど。

8/12

明日はお盆。今日は夜勤の入り。心の中でけじめをつけたいと思っていた時期が来た。そういう思いで仕事に行く。母が亡くなって4度目の盆。もういいだろうと毎年思いながら事実から遠ざかろうとしている。自分でも何を考えているのか分かりません・・・。

8/13

夜勤明けで父のマンションに行く。何ヶ月ぶりだろう。甥が昨日から遊びに来ているのが父には何よりうれしいみたいだ。お仏壇を拝んでとりあえず家で寝てまた来ますと言い、またアパートへ帰る。夕方、また、父の所へ行くが酒を飲んでいるうち喧嘩になる。自分も思いを吐き散らしまた、親子喧嘩別れだ。甥にも心配をかけた。これが何度繰り返されただろう。また悲しいお盆になってしまった。

8/14

何処にも行く気力もなく朝からボーっとしている。夕方から職場の人の初盆参りに行くが留守。盆踊りにいっているようだ。志をそっと置いて帰ってくる。

8/15

とうとう今年のお盆も何も進展のないまま終わってしまった。もう限界ですよ。全てにおいて。



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12/21

今年も後10日。去年も同じ日記を書いていたような気がする。今年1年は結局変化のないまま終わっていく。今日今年最後に心療内科に行ってきた。先生と話しているときは、穏やかに会話が和んでいるのが自分でもわかる。「父がまた、暴れたみたいでマンションの人から電話があって、いろいろ話をしました。父の孤独感がマンションで騒いだりするのだろうからあなたに、息子さんにぜひ時々来てほしいと言われました。自分もいつまでも距離を置いていても何も答えが無いから顔を出すようにします。と、答えました。一昨日、何ヶ月ぶりかで父のマンションに顔を覗かせたら。相変わらず愚痴と嘆きばかりでしたが、自分は何も反論せず聞くことに勤めました。反発するばかりの自分だったから、この姿勢を今後受け止めていけるか分からないけど頑張ってみようと思います。」親子関係、親戚関係に何か答えが出るか分からないけど、何かを始めないとまた1年が無駄に過ぎ去ってしまった今だから・・・。空は雪に変わりそうな雨になった。冬の寒さを感じながら病院を後にした。自分の中では人間関係に今より以前について行けなくなっていた。今ここで何かがすぐ変わるわけでもないが、とりあえず、年末を迎えることができただけでも生きているという証なのかな。日記も途中から書く気力もなくなってしまったし、なんかこの1年、生きているのがやっとだったような気がする。気温は2度。雪になりそうです。

12/22

昨日からの雪は5cm程の積雪になっていた。車で仕事に向かうが雪で滑って坂を登れない。結局車を置いて歩いて職場へ・・・。途中から職場の人に乗せてもらったが朝からきつかった。ほっとして勤務していると父のマンションの理事さんから電話が・・・、話の内容では父が幻聴みたいなものがあって、上の階の人が音を立てていると騒いでいるらしい。苦情の電話だ。その人の話では息子さんが本当に音がするかどうか一緒に泊まって確めてほしいと言う。もちろん音はしないと思っているのだろうが、しばらく泊まってない父の家に泊まらなければ、マンションの人も納得いかないようである。何でこう次から次へ・・・今夜も氷点下になりそうだ。泊まらなきゃいけないでしょうね。

12/23

昨夜、父のマンションに泊まったが、やはり、音に対して過敏になっているようだ。些細な日常生活音が父には雑音に聞こえてたまらないようである。マンションの理事長に仔細を電話で伝えるが、通院させて何らかの治療を望んでるようである。集合住宅に住んでいる上はいくらかの音はしょうがないからと、まあ自分が感じた分でもそれは当たり前だと思えた。問題は父の病識だろうが・・・。父の問題行動が自分に及ぶのはしょうがないだろうが、マンションの人たちからあなたしかいないからと何度も言われる。そこまで抱え込めないのに・・・・。どうなるのかな・・。

12/24

世間はクリスマス・イブ。今夜は事務当直で帰るのは明日の夕方。19時過ぎからすでに氷点下。今夜も冷えます。みんなどんなイブ過ごしてるのかなあ。夕食で病院食の塩さばを食べる。なんかむなしさを通り過ぎてるよ。

12/25

妹と久しぶりに電話で話した。原因は父のことだが今日も仕事で動けない。やはり病院に受診促したほうがいいんだろう。19時ごろ仕事が終わって父のマンションを訪れる。酔った父からまた、愚痴を連発される。いつまでこれが続くのかな。反論はまったくせず本当に話を聞くだけだ。自分にも反論する思いは無い。でも長く話を聞きたくないのは本音。精神不安定な状態が続くので病院を受診してもいいとは言っている。本人も苦しいと思う。今が受診する機会なのかもしれない・・・。

12/26

朝8時30分に父のマンションを訪れる。朝から酒を飲んでいるようだ。「病院に行こうか?」「ああ入院せんのならいいよ」思った以上にあっさりと承諾した。父を車に乗せて自分の勤める病院へ・・・。前もって先生に事情は話しておいた。ソーシャルワーカの問診や長谷川式のテストを受ける。酒が入っているせいか話がすぐ横道にそれてしまう。でも怒鳴ったりすることは無いのでとりあえず一安心する。その後先生の診察である。父は母が亡くなってからの胸の思いを一方的に大声で喋り捲る。先生は聞き手に徹する感じだ。父は時々涙を流しながら話していた。先生が薬の処方と断酒をすすめると父は素直に承諾していた。「来てよかった。いい先生やった。」父なりに満足したようである。薬は血圧の薬にアリセプト、ワイパックス、入眠剤など。薬を受け取りマンションまで送る。薬が嫌いな父が素直に飲んでくれればいいが・・・。不安ではあるがとりあえずとるべき手段はとったと思う。

12/27

今日は今年最後の休日。ボーっとした感じで一日過ごす。父の家にも行かず連絡も無い。どうしているだろうか。薬を飲んでいるか気にはなる。断酒はしているだろうか・・・。

12/28

朝、父のマンションに寄ると酔っ払って孫に電話していた。寂しさが募っているようだ。薬は飲んでるみたいだが、ふらふらすると訴えている。酒との相乗効果だろう。昨日、来なかったことを怒られた。勤務前で時間も無かったのですぐに職場へ向かう。日勤中は忙しいばっかりで、ほとんど休憩も取れない。帰りに散髪に行き、また坊主頭にしてもらった。髪を切ることで自分の過ちを少しでも紛らわせている思いがする。その後、父のところへ行ったが留守だった。どこに行ったのか・・・。

12/29

昨日が最低気温−6度。今朝が−4度。寒い日が続く。夕方父の所に寄って見ると落ちついた様子である。洗濯をしていて酔っている風でもなかった。泊まらないかと言う父に、明日も仕事だからとやんわりと断る。薬も飲んでいるようだ。まあ、とりあえず落ち着いてはきたようだ。このまま無事年越しになればいいが・・・。明日も職場は、入浴とシーツ交換。疲れるだろうな。

12/30

いよいよ今年も後二日。今日も日勤だが、朝、体がだるくて起きれない。必死に起きて職場に向かう。父の所には寄らずじまい。帰りに寄る事にする。日勤も3日目だと体がだるい。スタッフの間からは仕事や人間関係の苦情など耳にする。本当を言えば自分もとても関わっていられない状況なのだが、そうも言えない。どこかで二重人格になってるみたいだ。事務や、管理棟は今日で仕事納め。でも病棟にはそれはない。明日も日勤が待っている。帰りに父の所に寄り様子を見る。落ち着いているようだ。アパートに帰って、マンションの隣人に電話してみる。「お父さんは病院に行ってから落ち着いているみたいですよ。安心しました。」なんとか今の所うまくは行っている様だ。「それではよいお年を」そう言われた時、ほっとした気持ちになった。明日は大晦日か・・・。

12/31

今日で今年も終わり。今日も仕事だ。外泊の患者さんの対応などで忙しい。あっという間に最後の一日が終わる。そういえば去年の大晦日は大雪だったな。今年は雪が無くてとりあえず外泊も無事に済んだ。仕事が終わって父の所へ。甥が遊びに来ている。父はすでに酔っ払っていて同じことを何度も喋っている。でも嬉しいようではある。まあ何事も無く一年が終わりそうだ。来年はどうなることか?不安だらけだ・・・。除夜の鐘も聞こえないまま年が越えそうです。

2006.1.1

明けましておめでとうございます。穏やかな正月を父の家で迎えた。父は年末から酔いっぱなしのようだ。今日も同じ事を何度も話す。自分に対しての愚痴も相変わらず。2時間くらい説教をくらっただろうか・・・。でも反発しないようにと心を抑えている。午後から甥と父と3人で初詣に行く。何年ぶりだろう初詣なんて。人は多かったが知った人とは会わなかった。元旦の日差しが優しい。どんな1年になるんだろうか。まだ始まったばかりだ。やっぱり不安感は強い・・・。

1/2

今日は妹と姪が父の家に来た。2時過ぎだったが待ってる間、父の愚痴がまた続く。甥が「もう飲まないで」と酒を取り上げる。さすがにもう耐えられなくなったのだろう。父は孫には怒鳴ったりしないが「もう少し。もう少しだけ」と何度もすがりつく。父はしばらくして、ようやくあきらめたのか部屋で眠りだした。もう完全な依存症である。夕方、1年以上行っていなかった叔父の家に(行けなかったと言うべきか)行ってみることにした。挨拶もなしに1年も経ってどんな顔して行けばいいのか・・・。不安でいっぱいで行ってみると叔父は何事も無かったかのように体調を訊ねる。「だいぶ痩せたなあ」「大丈夫か」申し訳ないのはこちらなのに心配してくれた。「高塚さんのお守りがあるからやろう」以前電話があったが取りに行かないままになってたものだ。「すいません・・・」言葉が続かない。「実家の事は今は忘れろや」仏壇におまいりして家を後にする。ほんの少しだけ閉ざされたものが開いたような気がする。まだ、問題は山積みだが・・・。

1/3

今日は日勤。妹が帰る日だ。朝別れを告げ仕事へ。今年初仕事は、やはり忙しいばかりの日勤だ。外泊から帰ってくる患者さんの応対、記録などで一日が終わる。帰りに父のマンションに寄ると、甥が一人残っていた。妹も気を使ったのだろう。甥をもう二晩泊まらせ帰宅したようだ。思いもかけず、また、父のマンションに泊まることに・・・。結局正月は2日以外父の所に泊まることに。何年ぶりだろう。

1/4

今日は日勤から当直、明日も日勤だ。朝、甥に別れを告げ職場へ。路上駐車しっぱなしだったのでマンションの理事長から朝、車を移動するよう電話があった。父は駐車場を借りてやると言ってたが、それはそれでまた困ったことだ。とりあえずは断っていた。何だかわけの分からないまま正月も過ぎ去った。今日はリーダーで朝から休む暇が無い。疲れ果てました。

1/5

今日甥はバスで自宅へ帰ったようで夕方父から電話があった。父はまだ駐車場を借りるのどうのと言っている。困ったなと思いながら今日は自分のアパートに帰る。やはり、自分の生活空間が無いのはきつい。今日も雪が舞い寒かった。明日も雪らしい。2日ぶりに家に帰ると、どっと疲れが出る。マジで。









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